大野一雄
「舞踏の組」と呼ばれる故土方巽と共に、日本舞踏の草創期を形づくった舞踏家。1906年(明治39年)北海道、函館に生まれる。日本体育会体操学校(現日本体育大学)に在学中、スペイン舞踏、ラ・アルヘンチーナ(アントニア・メルセ)の公演に接し衝撃を受け、石井譲、江口隆哉、宮操子等にモダン・ダンスを学ぶ。9年間の戦争を華北・ニューギニアでくぐり抜けた後、1949年神田共立講堂で、大野一雄現代舞踏公演を挙行。59年迄の4回の自主公演を通して
土方巽と出会い、以後土方と様々な共同作業がはじまる。土方演出で、代表作となる「ラ・アルヘンチーナ頌」(1977初演)、「わたしのお母さん」(1981)、「死海」(1985)が生まれる。1980年ナンシー国際演劇祭に「ラ・アルペンチーナ頌」「お膳または胎児の夢」をさげて初参加、以後ヨーロッパ各地をはじめ中南北米大陸、オーストラリア、アジア、イスラエル等で無数の公演、ワークショップの開催、その足跡は文字通り全世界に及ぶ。舞踏は「BUTOH」と呼ばれ、大野一雄の公演は世界的に注目されるようになる。1986年、土方巽、死去以後、大野慶人演出で、「睡蓮」(1987)、「蠢びらき」(1988)、「花鳥風月」(1990)等々の作品を発表する。1991年映画詩「魂の風景」に出演、自然の中で天衣無縫に即興詩を踊る。そして秋鮭の登る頃、北海道石狩川の河口の雄大な自然を背景に河と鮭に捧げる舞踏詩「石狩の鼻曲り」、1993年、横浜赤レンガ倉庫のフロアー企画を使った創作舞踏「御殿、空を飛ぶ」と、スケールの大きな踊りを矢継ぎ早に発表する。90歳を越えてなお第一線での活躍を続け、1999年10月、第1回ミケランジェロ・アントニオニーニ芸術賞、2001年11月、
織部賞グランプリ、2002年1月、朝日舞台芸術賞特別賞。2007年1月、大野一雄 百歳の時 ガラ公演「百花繚乱」を上演。老いをダンスの糧とするかのように、大野一雄の踊りは続いている。
大野慶人
1938年、大野一雄の次男として生まれる。1959年、土方巽の「禁色」(三島由紀夫原作)に少年役で出演する。以後、土方巽の暗黒舞踏公演にかかせぬ踊り手となる。及川廣信にクラッシック・バレエ、パントマイムを学び、バレエ東京、アルトー館公演等に参加する。1985年舞踏フェスティバル'85に「死海」(土方巽演出)で大野一雄と共演。1987年シュッツガルト世界演劇祭に「睡蓮」(大野慶人演出)をもって大野一雄と参加。以後、大野一雄作品「蠢びらき」「花鳥風月」
「天道・地道」等々の演出者、共演者として大野一雄と行動を共にする。1998年、郡司正勝氏の遺稿をもとに自身のソロ公演「ドリアン・グレイの最後の肖像」を上演。著書に「大野一雄 魂の糧(フィルムアート社)」。
[出演]
大野一雄
元藤あき子(火へんに華)
高井富子
玉野黄市
上杉貢代
大野慶人
アスベスト館研究生
大野一雄舞踏研究所研究生
コルプス'91
[音楽]
三宅榛名(作曲・ピアノ)
土取利行(パ−カッション)
藤本吉利(鼓童)
鈴木 浩(ギタ−)
赤い靴ジュニアコ−ラス
[表紙写真]
細江英公
[美術]
中川幸夫
[衣裳]
大野悦子
[音響]
鈴木 浩
[照明]
溝端俊夫
[演出]
大野慶人
[主催]
PAW YOKOHAMA
大野一雄舞踏研究所
YOKOHAMA ART21実行委員会
横浜市
[制作協力]
成和商会(ピアノ調律)
藤木企業株式会社
土方巽記念資料館
[ビデオ制作]
制作・監修 大野慶人
撮影 大津幸四郎
川尾俊昭
進行 尾形充洸
編集・構成 平野克己
プロデュ−ス 大津幸四郎 |